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原稿
僕は、「神の子」としてこの世に生を受けました。
いきさつを説明致しましょう。
ある日僕の母親の元に天使が降りてきて、これから生まれてくるのは神の子であると告げました。そしてどこからともなくその噂を聞きつけた三賢者やら、教会の要人やらが押し寄せて、僕は生まれる前から一躍有名人となったわけです。
父も母も、まさか自分の子が次の救世主になるとは思っていなかったようで、最初は動揺を隠し切れなかったと言っていましたが、僕にはそうまんざらでもないように見えました。
僕の周りは、常に僕を見る目と、助けを求めてくる手であふれていました。
「夜な夜な悪い夢を見る」「病に冒された足が痛くて仕方がない」「発狂した妻を治してくれ」「全ての苦しみから開放されたい」
僕の周りは、常に祈りと懇願であふれていました。
普通、人は何か懺悔をしたい場合は教会にいきます。神に仕える神父様やシスター達に罪を告白して、安らぎを得ます。
そして、それと同じ要領で僕の近くにいる人々は僕に向かって許しを請うのです。
だから僕は、人々に神の子と呼ばれる僕は、こうして一人で囁くのです。静かに、ひっそりと。僕の犯してきた罪の数々を、誰もいない静寂と混沌に向かってそっと打ち明けるように垂れ流すのです。
世界には僕を崇拝する人もいれば、憎む人もいました。僕が神の子であると信じない者、自分こそが本物だと名乗り出る者、さらには僕を殺して成り代わろうとする者。いっそのこと、彼らの内の誰かが僕を消してくれればいいのにと、思ったことがないとは言いません。
救世主、救世主。
彼らの声は常に希望を含んでいました。救世主、どうか私をお救いください。救世主、どうかパンをお与え下さい。
あなた方は、一体僕に何ができるとお思うですか?
僕に向かって祈れば、僕があなたを救えるとでも?僕に向かって祈れば、僕が手からパンを出せるとでも?
どうかお願いですわかってください。僕は普通の人間なんです。あなた方と何も変わらない、ただのちっぽけな人間なんです。
誰もいない部屋でぶつぶつと許しを請いながら、僕はその日も救世主として生きていました。いつまでも、きっといつまでもこの日々は続く。いつまでも、僕の懺悔は終わらない。そう思っていた時でした。
僕の周りにいた人々がばたばたと死に始めました。彼らの皮膚には毒々しい黒の斑点が浮かんでいます。
わけがわからず僕が外へ飛び出すと、道端にいるほとんどの人が倒れてるのが見えました。あそこに野犬に食われているのは母でしょうか。あそこでもがき苦しんでいるのは父でしょうか。
ばたりばたりと倒れては、そのまましんと動かない。
最初僕を襲ったのは死の恐怖。このまま僕もあの斑点に侵されて、ぱたりと倒れて死ぬのでは。けれど、しばらくしてから僕はまた別の恐怖を感じました。さっきよりもさらに大きい、絶望とも言えるその感情。
もしかして、このまま僕だけが生き残ってしまうのでは?
この死体だらけの町に僕一人だけ。ああ、そんなことがあるはずがない。だって僕は、僕はただの人間なのだから。僕が、そんな特別な存在であるわけはないのですから!そんなことが、あっていいはずがない!
僕は必死に息のある者をかきあつめました。彼らは僕が自分達を救おうとしてくれていると思って涙を流していましたが、僕はただ病をうつしてほしいだけだったのです。僕も、僕もつれていってと、心の中で叫びました。
結局、町で生き残ったのは僕と、そして僕を日々弾劾していた反対派の人々だけでした。つまり、僕を神の子だと信じ、救世主だと慕(した)っていた人々だけが死んだのです。
罵る(ののしる)声。蔑む(さげすむ)声。ああ、でも彼らの声が遠いんです。僕にはもう、何も聞こえてこないんです。
ああ、神よ。
僕は屍(しかばね)の上で叫びました。
「あなたは一体、何をなさりたいのです!!」
死んだ人々への罪の意識よりも、僕は神への憎しみを覚えました。
これから僕にどうしろと?誰を救えと言うのです?何を救えと言うのです…?
どこに行くあてもなく、誰を頼ることもなく。僕は何日もその死の町に留まっていました。積みあがった死体は、徐々にただの腐った肉へと変わり、許しを請う僕の懺悔は、徐々に神を憎む呪いに変わる。
うつろな瞳に移るのは、黒ず(くろず)んだ血と灰色の町。
僕のすぐ前に一羽(いちわ)のカラスが降り立ちました。ぎゃぁぎゃぁと僕に向かって吼(ほ)えてきます。見れば、そこらじゅう傷ついて、どうやら人間達と同じ病にかかっているようです。ぎゃぁ、ぎゃぁ。久々に聴いた僕以外の声に、昔よく聴いた声が重なります。
救世主、救世主、救世主、救世主……
助けて、助けて、助けて、助けて……
「そうか」
君も僕に。
「助けてほしいって、言ってるんだね」
カラスが悲鳴をあげました。
その首をいともたやすく握りつぶしたのは――僕の手だ。
「ああ、そうか」
あなたは、僕に世界を救えとおっしゃる。
あなた方は、僕にあなた方を救えとおっしゃる。
助けてと叫ぶのは、あなたが苦しみを感じているからで、その苦しみは、僕のこの手で終わらせることができるのです。
そう、そうだったのです。神よ、紛(まぎ)れも無く僕はあなたの子!そう、僕こそがこの世を救える神の子だ!
僕はそれから生まれてきて初めて笑いました。
あはは、そうか。そうだったのですね!!あなたはこの世界を救えとおっしゃる。世界の救世主になれと、そうおっしゃる!
ならばお望みどおりそうしましょう!あなたの手となり足となり、この世を救って見せましょう!
あなたが授けた力を持って、沈黙(ちんもく)と虚無(きょうむ)とを導きましょう。
さぁ愛しい我が世界の住人達。
ずいぶん遅くなってしまって申し訳ありません。やっと僕は神の子として目覚めることができました。血と腐臭(ふしゅう)と孤独が、僕のこの目を開(ひら)かせました。
さぁ、愛しい我が世界の子供達。
心配することはございません。全ては一瞬で終わります。絶望は歓喜(かんき)へ変わります。
この世に蔓延る(はびこる)愚民(ぐみん)達。大変長らくお待たせしました。さぁ、今共に、全てを無へと、返しましょう。
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